ヒト×モノ=クニ
2011.4.13.
震災から一ヶ月が経った今も連日の余震。復興が始まった矢先になぜ、、、心配は拭えません。
一部から「もう、モノは足りている。これからはヒトだ」という声も聞こえます。しかし、いまだに物資の届かない放置された被災地があり、また物資が届いている被災地でも、風呂や洗濯設備の不備から、衛生面による感染症の問題などが発生し、精神的な疲労の蓄積も多いとのこと。医療施設は不足し、 ペットや家畜などの放置も心が痛みます。
しかし、こんな混乱状況の中でも積極的に行動している方々がいる。まさにヒトの力で、メディアの届かないところで、日々地道な復興作業を行っている方々が多くいることに、私自身が励まされ、この活動を陰ながら応援すること、、、、無力な自分がいま唯一できることです。
先日の津波により、家族のいる故郷の家を失った友人から一通のメールが届きました。そこには以下の言葉がありました。
「デザインは、モノだけではなく、ヒトの心や気持ちも復活させてあげる事はできますか?」
この問いはとても重く、、、すぐ答えることができませんでした。 普段の仕事は平穏な生活の中で初めて実現できるものです。モノ作りに関わっている以上、その中には僅かながらヒトの目に停まり、手に触れ、好感を得たモノもあるかもしれません。しかし一度失っ た「ヒトの心や気持ちも復活させることができる」ようなモノなのかは、、、正直分かりません。 そして何度も自分に問い続けるのです。
「デザインは、モノだけではなく、ヒトの心や気持ちも復活させてあげる事はできますか?」
歴史上、人は一度失ったモノを何度も再生し、進化させてきました。モノにヒトの記憶を重ねることで、ヒトはモノと共存して来ました。天災により倒壊したり、争いによって破壊された神社仏閣などの再生は、その代表かもしれません。よってモノは心の再生にも繋がっているはず、、、地震と津波により全てを失った被災者の方が「もう一度自分たちの手で元の町に戻す。でないと亡くなった方々に申し訳がない」と、懸命に瓦礫を撤去する姿を見て、また言葉を失ってしまう。原発事故に巻き込まれた方々の悲痛な叫びを聞く度に、またこの言葉が聞こえてくるのです。
「デザインは、モノだけではなく、ヒトの心や気持ちも復活させてあげる事はできますか?」
私がいま夢中になっているモノ作りがあります。地震発生後の計画停電中、ほんの限られた地域でしたが、ケーブルTVの生放送に出演しました。短い時間でしたが、依頼者•職人•デザイナーの三人で 「ハンドサイクル」の開発経緯を話すことができました。 それはインクルーシブ(=包含する、含まれるという意味)なデザインであり、さまざまな方々の使用を視野に入れた乗りモノです。いまはより快適に、より性能を上げるためのテストを行い、日々改良を続けているところです。目の前に完成を待っている方がいる。だからどんなことがあっても、 必ず世に出すという信念を持って取り組んでいます。その他近い将来、医療に貢献できる可能性のある製品の開発や、子供に人気のプロジェクトにも取り組んでいます。これらのモノがほんの少しでも、人の心や気持ちの復活に貢献できれば、、、と願ってやみません。
今回のことで「何か夢中になることがあるというのは、本当に幸せなこと」だと心底思いました。デザインに夢中になって 「ヒトの心や気持を復活させることができる」ようなモノを作れるようになりたい。モノとヒトが対立するような二者択一的な意見ではなく、
「ヒトの力でモノを再生し、失った心や気持ち取り戻すことを願い、美しいクニを創る」
その時が来るまで、「モノでヒトを幸せにする」ということを信じながら、ヒトの心や気持ちに届くようなモノを作って行きたいと思います。